2021年12月31日金曜日

2021年 まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう

 2021年発表したレクチャーパフォーマンス『ダンスハ體育ナリ?其ノ三 2021年 踊ル?宇宙ノ旅』のなかで引用した宮沢賢治『農民芸術概論綱要』(1926)の言葉より。正しくは文章の一節を飛ばし飛ばし抜書きしている。実際の本番中に使用したのは以下の文章。

まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう

詞は詩であり 動作は舞踊 音は天楽 四方はかがやく風景画

巨きな人生劇場は時間の軸を移動して不滅の四次の芸術をなす



本作は鳥取に来る前(つまり6年以上前)の衝撃的な体験と、『かめりあ』(2010)で触れた祖父母が営んでいた米屋の話を織り込んでいる。そして鳥取で作ってきた作品も織り込まれてきて、レビューにも完結編と書かれてしまったが、おそらく教員として授業を作るうちは続いていくだろうと思われる。(すでに鳥取編も計画中)ただ、これまで帰国してからの10年ほどの作品がすべて「当事者研究」に基づいているものであり、そういう意味では個人の暮らしや生き方からまさかの138万光年宇宙にまで繋がっていくんだということが面白く、またすごかった。完結編と誤解されても仕方がないくらいのボリュームでもあったと思う。

ただ全ての円が閉じるように、努めた結果、危ういところまでいき、しかしちゃんと戻ってこれた。(周囲には温泉寺の観音様のご利益とも言われている)


ちょっと心配なところはあるが、すでに死んだも同じ身。何をしてもよくしなくてもよいところまできた。大概のことはなんとかなることもわかった。とした時に、何をしたいのだろうと改めて考えてみる。

毎年こうして書きながら2020年は「真っ暗闇を歩く」とタイトルをつけていた。その現状は全くよくなっていない。おそらく私たちがああだ、こうだと努力をしても、いつの日か世界は無に帰す。真っ暗闇に突入していくその中で、それでもまた新しい星が生まれていくものだということを信じずにはいられない。

夜空に輝く星のように、それぞれの個人が宇宙の微塵となりて輝き続けてあるように。


プログラムではコンステレーション(河合隼雄による言葉、星座を意味する)という概念を取り上げたが、近くにいても遠くにいても、死ぬ時はひとり。それぞれの生を全うできますように。