2022年10月18日火曜日

Dance and Music @ことめや

 Dance and Music@ことめや

鳥取夏至祭2018でお越しになった水谷浩章さん(コントラバス)が山陰方面ツアーのついでに鳥取に滞在、ライブを行いました。短い告知期間であったにもかかわらず、狭い小屋ということもあり満員御礼です。投げ銭ではあったのですが、お札が多数、、皆さまありがとうございます。

水谷さんは池田千夏さんとのデュオでも鳥取にお越しいただいており、いろいろと縁深いです。この前のツアーは坂田明さんらと北海道だったそうで、共通の友人、知人の話に盛り上がりました。ちなみに奥様のお名前が「さいこ」さんで「song315」(ドミソで構成されているという衝撃のオリジナル曲)も倉吉で演奏してくださいました。せっかくなので拝見しに行った倉吉ロングトーンでのライブは出雲のピアニストさん歌島さんにお会いできました。(共通の友人が結構いることが判明しました)芸能者が人と人をつなぐ、いい事例です。

2022年10月5日19時ー

水谷浩章さん(コントラバス)、木野彩子(ダンス、お話の聞き手)、田中哲哉(照明)





2022年8月18日木曜日

レクチャーパフォーマンス『踊ル?宇宙ノ旅』

 昨年制作したレクチャーパフォーマンス『ダンスハ體育ナリ?其ノ三2021年踊ル?宇宙ノ旅』の鳥取スペシャルバージョンを制作しました。

鳥取版はプラネタリウム解説員森山さんの生解説(ちょうど惑星が一列に並んで見える特別な日でした)と木野の体内ブラックホールに吸い込まれる特別映像付きのスペシャル版となりました。(協力:日本赤十字鳥取病院、電子顕微鏡のまち米子、鳥取大学医学部染色体工学センター)

なお、2021年では無くなったのと體育についてのレクチャー部分が薄くなったので、タイトルを変更しています。40分番組ということでプラネタリウムのあるところへ出張公演可能です。お問い合わせください。




鳥取夏至祭2022

 鳥取夏至祭2022

HPを更新し、情報をまとめました。https://geshisai.jimdosite.com

ごあいさつ

鳥取に住むようになって7年目、この夏至祭も6回目となりました。そしてこの年月はそのまま私が鳥取について知り、学んで行った時間であり、町も少しずつ変化していきました。昨年、一昨年のコロナ下の中でもオンラインワークショップなどを含め継続し続けてきましたが、やはりパフォーミングアーツは身体の持つ力が大きく、直接人に触れ合うことの意味を考えさせられる日々でした。音楽もダンスも演劇も、人から発する波動のようなものを交換する行為であり、観客もまたその場をともに作っているのです。人と人との間に立ち顕れるなにものかを一緒に作る行為であり、オンラインや映像ではやはり伝わらないものがあるのではないでしょうか。特に鳥取夏至祭では即興を重視しており、その瞬間に立ち会わなければ出会うことができない一期一会であるだけに、難しさを感じてきました。

コロナ下での生活は困難でもありましたが、身体を見直す良い機会となりました。これから少しずつ戻っていくこととは思いますが、人にあう機会や関係性を大切にしたいと思うようになりました。

2017年(初回です)、パレット鳥取でダンサーが踊っていたら通りかかりのご婦人がコーラをくれました。突然です。向かいのスーパー(当時はコンビニではなかった)で買ってきてくださった様子。ダンサーは動揺しながらもそれを飲み、交流が始まりました。コーラが欲しいと言うのではなく、観客もまた参加者であり、普通の生活の延長上にあるものとして受け止めてみてください。私は踊りながら暮らしています。音楽もダンスも、呼吸をしたりご飯を食べるように日々の営みなのです。いつからか舞台の上で特別な人が行うものになってしまいましたが、もっとすぐそばにあっていいと私は思います。感じたことや気になったことをぜひ話しかけてみてください。きっとアーティストも喜びます。

鳥取のゆっくりな時間や広々とした空間、優しい人たちに囲まれて、この自由奔放なお祭りも続けてくることができました。ありがとうございます。

今回私が体調を崩したこともあり、実行委員会のメンバーが頑張ってくれました。週1回のオンラインミーティングを行いながら仕事を分担して開催へと漕ぎ着けることができました。また、離れていてもつながっている、これまで関わってくれたアーティスト達にも感謝しています。

いつまでもこの鳥取では自由な表現が認められるゆるやかさを保っていけますように。ここが新しい出会いと表現を生み出す場でありますように。

木野彩子

鳥取夏至祭2022実行委員会

荻野ちよ 、田中悦子、森本みち子、高橋智美、村瀬謙介、信清栄月、井澤大介、中村友紀、

岩崎淳志、加藤由布、伊藤礼央、高見咲也子、イフクキョウコ、きのさいこ

 

鳥取夏至祭2022出演者・スタッフ

県外メンバー

大脇家(大脇理智、イフクキョウコ・凡、ダンス、山口)、Yasusi(ストリートダンス 、兵庫)、クロミツ(ヴァイオリン、岡山)、赤田晃一(サックス、岡山)、吉福敦子(ダンス、東京)、辻たくや(舞踏、東京)、マイアミ(詩、弾き語り、京都)、ヒジカタハルミ(パフォーマンス、京都)、向井まり・しょうま(パフォーマンス、京都)、bozzo(写真、兵庫)、赤丸急上昇(赤松美智代+丸山陽子、ダンス、愛媛)、上本竜平(ダンス、東京)、鈴村英理子・咲月・美月(ダンス、滋賀)、ニイユミコ(ダンス、京都)、富士栄秀也(ヴォイスパフォーマンス、東京)、nahinoki(ライター、熊本)、藤森このみ(舞台技術、兵庫)
オンラインによる参加
亀川朗(ピアノ、北海道)、金子泰子(トロンボーン、岡山)

 
県内メンバー

荻野ちよ (ダンス)、里田晴穂(映像)、トーマ(パフォーマンス)、高橋智美(民族楽器・ミュージカルソー)、村瀬謙介(電子音楽)、信清栄月(津軽三味線)、モリモトケ(カエデトイツキ、森本みち子、照明、打楽器)、稲垣良哲(ヨーデル)、中村友紀(演劇)、田中悦子(ダンス)、出井千嵯(ヨーデル、ダンス)、ヤオジャオドン(アコーディオン)、岩崎敦志(詩、リコーダー)、アゾースキー(とうふるーと奏者)、清友ひかる(パフォーマンス)、松岡香織(カホン)、黄 蕗、内田栞璃(ダンス)、☆ふるふぃすたぁ☆+SUNNYフルーツ(アイドルライバーユニット)、きのさいこ(ダンス)他


スタッフ

チラシデザイン:三宅航太郎、加藤咲(Miyake and associates

広報写真・記録:田中良子
映像記録:里田晴穂

主催:鳥取夏至祭2022実行委員会

共催:公益財団法人鳥取童謡・おもちゃ館 わらべ館

協力:ほうきのジビエ推進協議会「ジビエでフードアクションサポート事業 2022」、ドラムサークルがらがらどん 、鳥取市公園・スポーツ施設協会、仁風閣、鳥取市文化財課、鳥取市文化交流課

Tottori カルマ、山猫軒(まかない用ジビエ料理開発)

助成:鳥取大学令和4年度地域イノベーション創出に向けた実践的教育研究推進プログラム


bozzoさん(出演者)の写真はこちらから

https://www.flickr.com/photos/bozzo173/albums/72177720299917034








2022年3月11日金曜日

Amanogawa 20220311@Tottori

 Amanogawa プロジェクトは2012年に始まった。

本来は制作するはずだった銀河鉄道の夜の最後のシーンで市民の皆さんと作るはずだったシーンのみ映像作品として制作をし、写真、映像、テキストで残したが、「からたち」「からたちから」(日本基督教団巣鴨教会でのクリエーション)や札幌版での制作へと進化していき、鳥取銀河鉄道祭へとつながって行った。

20220311

あれから10年。当時はまさか鳥取にいるとは思っていなかった。

今日は現在の居場所の大学前の丘にろうそくを並べる。一つ一つの光は人の命。それらは星のように輝いている。町の灯と星の光は似ていて、川辺に映る星の世界にカンパネルラはいて、しかしそれは平行線を辿っているに過ぎない。

当時のWSを思い出してみる。

通りかかった先生は神戸の震災も関わった関係でヒアリングで東北通ったんだよと話しつつ、でも西日本では今ひとつピンときてないんだと思う、とおっしゃったりする。

また別の方はえ、311、あ、そうだったっけという反応だったりする。

通りかかった学生は生のろうそくの火だということの方が驚きだったりする。

土地により、世代により見ているもの、感じているものが全く異なるということを改めて感じる。人は見たいものしか見ない。また見たことがあるものしか理解できない。一つの国ですらこの温度差。

ロシアも、またウクライナもそうなのだろう。

国のような大きな一括りで見てはいけない。それぞれの個々の人にいかにつながっていくか、そして心の支えになっていくかみたいなことが問われているような気がする。たとえ離れていたとしても。空間を超えることはそんなに難しいことではない。時間は言葉を介してしか私は未だ超えれていないと感じている。

10年後はどこにいるだろうか。



2022年3月5日土曜日

こぶし館の光とともに在るということ20220228

2022年2月28日及び3月1日にこぶし館の定点観測会を行いました。その際に配布した文章です。

なおこの日使用した図書は「今日のアニミズム」(奥野克己、清水高志著、2021、以文社)「花の知恵」(モーリスメーテルリンク著、1992、工作社)、「フロー体験 喜びの現象学」(M.チクセントミハイ、1996、世界思想社)、「ユリイカ 2022年2月号特集田中泯」(2022、青土社)。それぞれ鳥取の本屋定有堂と汽水空港で購入したものです。いつもお世話になっています。なお、定有堂さんで私が「スペース」の古本を20円で発見し、同僚に話したことが「スペースの会」ができるきっかけになりました。したがって、昨年より続くこのこぶし館パフォーマンスの会の種子となりました。


こぶし館とは

鳥取の医師徳永進氏の私邸。1989年設立。設計者は生田昭夫氏。施工は池田善行氏。木谷清人『鳥取建築ノート』(富士書店、1991によれば①強度のハンセン病の人たちを温かく迎え入れられるように②お茶の水の「山の上ホテル(W.M.ヴォーリーズ設計)」のように③安心して死ねるような部屋を。さらに戦前谷崎潤一郎ら多くの作家芸術家の止宿した「本郷菊富士ホテル」のような感じを設計の際に求めたという。一年半にも及ぶ工期ののち作られたこだわりの建築として紹介されている。鳥取の私設文化施設として多くの著名人が訪れ、また地域住民の文化交流の場として使用されてきた。現在、こぶし館は訪れる人もなく、ひっそりと佇んでいる。毎年4月初旬のこぶしの花の咲く頃、野の花診療所の関係者が集い年度はじめの会があるものの、イベントはごくまれにしか開催されていない。

 

こぶし館3つの光(2021.02.28)とは

2021228(日)に開催されたインスタレーションパフォーマンスである。映像作家波田野州平、照明家三浦あさ子とのコラボレーション作品で、それぞれ「こぶし館の光の跡を撮る」(波田野州平)、「こぶし館の光とともに在る」(木野彩子)「こぶし館の光に時を視る」(三浦あさ子)と銘打ち、作品を制作した。

波田野氏はこのためにこぶし館を舞台に撮影・制作した短編作品『光跡』を観客が帰宅後に見返すことができるように設定した。(ただし、当日限定の公開で、現在は見ることができない。)波田野氏は机や床に残された傷に着目し、その場所に残る痕跡を意識的に遺していた。

木野は「昼の光」として11:3012:30ごろに動きがほぼ固定された形で、「たそがれの光」として15:00-18:30ごろまで動きを固定しないものの継続した形で、パフォーマンスを行なった。チラシには「建物の傷、床の軋み、鳥の声、普段聴こえていない音を聴いてみる、普段見逃してしまう、みえていないものをみようとする試みです。踊りとは本来自然のエネルギーや様々な想いを感じとり、受け取るものだったように思うのです。長いこと誰かを待ち続けてきたこぶし館。私もこぶし館のようにともにただあるところからはじめてみたいと思います。」ヴァレリーの詩をベースに作成した。三浦氏はこれらの作品を見、そして現在も定点観測を続けながら現在も制作を続けている。なお、観客はそれぞれの意思で会場に滞在し、時を過ごした。終演後「こぶし館で何をみましたか」を書いていただいた。それを元にここに顕われ出る何ものかを考察し、次のパフォーマンスへとつないでいくものとした。

こぶし館についてのこの2年継続した木野のリサーチは20223月発行の『街を見る方法―『まちの本スペース』とその時代』(小取舎)に原稿としてまとめることとした。


ごあいさつ

昨年から今年にかけて2度の脳梗塞を経験し、一度右腕と顔の麻痺を経験しました。持ち前の身体感覚で軽度で済み、(医者にも驚かれました)どんな人もいつか亡くなるが、そう簡単に人は死ねないということを学習しました。ぼーっと病室の窓を見つめながら、それぞれの人に寿命があるように、人間の意思で触れたり変えることことはできないのだと実感した3ヶ月でした。昨年1年、日に日に太陽の軌道は変わり、天気が変わり、何度となくリハーサルを行いながら同じ時は2度とこなかったように、時間は流れ続けており、今という時間は2度ときません。しかし、この建物はその後も残るのだということも実感しました。

私の構成物である細胞は3ヶ月もすれば入れ替わってしまいます。赤血球も骨も。一度死んでしまった脳細胞はお星様のように欠落したまま(MRIでは白く映し出される)で、機能としては周りの細胞がカバーするものの、細胞自体は戻ることはありません。おそらくこれから歳を重ねるごとに徐々にできないことが増えていくわけで、この私の身体の劣化とこの建物の傷やヒビは似たようなものです。建物はあり続けますが、一方私はいつか消えゆくことができます。

いつの日か土や空気や水の粒子となることを夢見てこぶし館に身体を溶け込ます稽古をはじめました。

元々舞踊の稽古はいかに自分をなくし、神々あるいは自然からのエネルギーを受け入れるかというものです。世間一般でダンスは自己表現と思われていますが、むしろダンスの訓練では逆の作業をしていきます。多くの舞踊の技術は規律化を図ることで無個性化を目指してもいます。技術力は必ずしも必要ではなく、儀式のように小さな動きであっても自己の存在が消えるほど集中ができれば良い。没我、入我我入と仏教の言葉では言いますが、それはむしろ建物(あるいはそこにあるもの、樹木などの自然、人)を受け入れるための作業です。生き物ではない物質もまた僅かながらエネルギーを発しており、そこにチューニングを合わせていく。その過集中を起こすのが舞踊家の仕事であり、ブラックホールのように磁場を狂わせていくような作業であったりします。時空のはざまのようなもので、見て、楽しい、面白いものとは限らないし、むしろ恐怖を伴うものであり、私はその深淵を見続けています。そしてそれは師(あるいは振付家)から引き継がれた(引継ぎたかったというわけではなく、ある時特殊な体験として受け取らざるを得なかった)ものであるのです。結果的に踊らねばならなくなり、だから(技術もないまま)今も踊り続けています。つまり世間一般で考えられているダンスと私が考えているダンスは異なるものであり、授業で取り扱うダンス、舞踊文化と自身の見ているものも異なり、また私は人にそれを伝えることもできないということです。

私の身体の使い方もまた特殊で、友人のダンサーが真似をしたところ、歩くこともできない状況になりました。すべての人がそうではないものの、教える際にはすべての人に安全であるよう最大公約数的なものをと捉えています。また、私のような動き方がいいのかといえばそうでもないということもわかるので、できるだけ自分の身体から可動域を広げ、自分の身体言語を作るようにと促します。結果として即興性を重視し、ゲームのように遊びながら身体をまずは動かすことになります。学生は子供の遊びと思うようですが、子供たちほど自由に動けていない自分たちになかなか気がつけていません。普段の生活で失ってしまった身体感覚を取り戻すことが第1であり、テクニックとして習得するものはあくまで体操のようなものにすぎません。鳥取に来てから基本的に学生の前で踊るのは2018年『死者の書 再読』と2020年『Oil,Water, and Woman』、そしてこの2021年『こぶし館3つの光』のみですが、「先生のいうダンスは私たちのダンスではないので、言い方変えてください」と言われたりして落ち込んだりしています。

今回改めて自分のタイムリミットを考え、現状の身体感覚とこの鳥取での作品解説を残しておくことにしました。ここから先は11年が最後になりうる。実際に老化もありえますが、リアルに自分で自分の死を望むところまできました。(自殺願望ではなく、脳梗塞は自身の念のようなものでコントロールできる感じがあります。)今回は今年も1年大丈夫でしたという自分へのご褒美の会にすることにしました。

今回、コロナ下ではありますが、稽古という形を取ったとしても開催したのはこのような経緯がありました。毎年今後も最も美しい光のはいる冬のこの時期に(春のこぶしの時期も捨てがたいのですけれど)開いていくことができたら嬉しく思います。ごゆっくりお過ごしください。