2021年10月5日火曜日

 このコロナ下ではあるものの、何度か温泉寺に通い、住職にお話をお聞かせいただいたり、祈祷を見させていただきました。毎日繰り返し続ける祈祷は仏様のようにありたいと思い、あれないということを思いつつも少しでも自身を高めていく行為であり、この世のために祈り続けるその姿は舞踊のように美しいと思われました。

毎日同じことを繰り返すので、と言いながら、経本はほとんどみない。毎日繰り返すバーレッスンやストレッチ、身に染み付いた振付に似ています。一方で、それはみられるから行うというものでもなく、見る人がいようといまいと、日々の糧としてただ続いていくだけのことなのです。

コロナウィルス は確かに人命を脅かすものかもしれません。この豊岡でも演劇祭が中止になったり、観光地である城崎温泉も厳しい状況であることが感じらます(鳥取でも同様です)。しかしウィルスもまた生命であり、そこに存在するものであるならば、ある種の必然であったのではないかと最近考えるようになりました。多くの天変地異や温暖化も含め、今の私たちの暮らし方そのものを少しずつ変化させていかねばならないし、今のままではダメだよと仏さまなのか、自然からなのかメッセージを、私たちは受け取っているのではないでしょうか。

古くから伝わるものにはなんらかの大切なものが含まれています。最小限何を大切にしなければいけないのか、住職の毎日のお勤めはそんなことを考えさせられるきっかけになりました。まずは毎日の暮らしを見直してみましょう。この参道の美しさや、季節による虫の声の変化、道を彩るきのこや苔たちに気がつくようになったのは、このコロナ下になって以降のことです。自然の営みはそんなに変わっていないにも関わらず気がつけていなかったことが見えてくるようになりました。豊岡は(そして私が住む鳥取は)自然が豊かに残っている土地であり、自然によって生かされていると感じることができる場所でもあります。気持ちを鎮め、少し歩みをゆるめてみることで見える景色が変わってくると感じます。

この土地に今このタイミングで生まれついているということ、今日、同じ時を過ごしているということはある種の奇跡であり、幸せなことでもあります。大変な状況ではあるものの、それでもお会いできてよかった。お越しくださった皆さま、ありがとうございました。そうして励まされる営みだからこそ、規模は小さくとも、あるいは形を変えたとしてもパフォーミングアーツは続けていかねばならないと強く思っています。

 

次は33年後でしょうか。私はもういないかもしれません。(残念ながら今回関わってくれたスタッフ、お客様の多くも。)それでも、十一面観音さんは静かに微笑み続けるのでしょう。コロナでも、異常気象でも、様々な天変地異は今後も起こっていくとしても、それもまたこの世の理。

それでも今、この瞬間に感謝して。

2021926日@温泉寺

木野彩子

 

Stuff

照明 三浦あさ子、田中哲哉

記録 田中良子、bozzo

Special Thanks 

小川祐章(温泉寺)








写真:bozzo