『わたくしという名の現象』(2020)
ダンスボックス (神戸)の照明研究会にて発表。照明家三浦あさ子さんとのコラボレーション。以下はオンライン配信時の付属テキスト。
詩は宮澤賢治の代表作『春と修羅』の序である。正式には「わたくしといふ現象」が正しい表記で、間違って朗読してしまったのだが、それをさらに離れてみる視点ということでそのままの言葉でタイトルとした。
今回照明研究会の中での作品作りということで舞台空間上に照明と私が並列にある形を取れないかと考えた。また、照明を問う意味で「かげとひかりのひとくさりづつ」を表すべく、フィボナッチ数列をもとに明るい時と暗いときの時間を合わせ織り交ぜることとした。舞台は見るだけのものではない。肌で感じるものである時、照明の有無に関係なく、ダンサーは動き続けあり続ける。照明がなければそれはないことになるのだろうか。これまで私の作品は暗いものが多くそのほとんどが映像で残らないのだが、三浦さんと映像さんの力により、きちんと見える化し残すことで、より明確にそのことを意識させられるようになった。
宮澤賢治は心象スケッチと称して平行世界を描こうと試みた。見えないものではなく見ていないだけではないのかと突きつけてくる。それらの世界は星の数だけ人の数だけ点在しており、彼自身の生もまたそのうちの1つであるとみていたように思われる。最後のシーンでランダムに照明を変化させ、暗転する予定だったのだが、アクシデントか明転となった。現実の世界に引き戻されるということか、あるいはまた異なる平行世界にたどり着いたということだろうか。パフォーマンスのたびに考えさせられる作品になった。
きのさいこ
青空文庫:https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.htmlにて元の文章を読むことができます。
照明担当 三浦あさ子さんより
木野さんからこの作品の構想を聞いたときに、「目に見える形で照明のスポットと木野さんが対峙する構図」というアイデアを思いつきました。
そして、以前から使ってみたかったスポットを提案。それは大昔といっても昭和30~40年代ぐらいに学習机についていた存在感のある丸い形の電気。元々の持ち主は札幌の方です。
わたしの中の想定ではある人(女)を待つある男(電気)のいる架空の部屋でした。
学習机用の電気なので、存在するために机が必要になり、ダンスボックスにあったテーブルを使うことにしました。この部屋は境界もはっきりしていなくて時間も伸び縮みするような場所のような…。
その空間の中にある人(女)がとある時間を過ごすためにやってくる。ある男(電気)は機械的にそれに寄り添ったり、突き放したりしているようで、駆け引きのある時間を感じきました。 たしかに…最後暗転しなかったことが興味深い結末になったように思います。
photo by 岩本順平