2020年7月23日木曜日

ダンスハ體育ナリ?其ノ2.5 札幌編ー木野彩子、きのさいこを語るー

レクチャーパフォーマンス  ダンスハ體育ナリ?其ノ2.5 札幌編 ー木野彩子、きのさいこを語るー
札幌市出身の自身のこれまで辿ってきた舞踊人生と札幌オリンピックによって作られてきた札幌の街の歴史を辿りながら、全ての人生が語るべきものであり、個々人の声の大切さを考える。
当日配布のプログラムより転載

8「走れメロス」
寺山修司は『死者の書』(1974,土曜美術社)にて「国境問題からおさらばする試み」と題して1972年ミュンヘンオリンピックで起きたことを詳細に書いている。また雑誌『地下演劇』6号(1973)にてその台本などをあげている。
もともとオリンピック組織委員会からの依頼でオリンピックを検証する野外劇をということで制作され、メキシコオリンピック開始直前に起きたデモに対する虐殺(犠牲者は300人とも400人とも言われる)を題材として取り上げ、オリンピックがすでに国家間の競争、戦争になっていることを指摘するという内容であった。しかし残る会期3日を残してブラックセプテンバー事件(アラブ系テロリストによるイスラエル選手襲撃事件)が発生する。IOC総会の間に全員救出という報道が流れ、競技は全て続行したものの、後にそれは誤報(実際には全員が死亡。そこに情報操作があったと寺山は指摘している)であったとして、全ての芸術行事は中止されてしまう。寺山及び天井桟敷は抗議の意味を込めて全ての舞台装置を会場の広場に集め、燃やし、「ミュンヘンオリンピックはベルリンオリンピックの亡霊であった」と呼びかけたという。ここで指すベルリンオリンピックはナチスドイツのプロパガンダとして使用されたという1936年のオリンピックを指し、オリンピックは結局国と国との争い、代替戦争から抜け出すことができていないことがわかる。
ブラックセプテンバー事件自体は映画化されるなどよく知られているが、芸術行事の取り組みはあまり知られていなかった。ここにもスポーツと芸術の注目度の差が感じられる。
ミュンヘンでは3kmを超えて複数の役者が走る芝居だが、本作では木野が一人で縮小して行う。なお、大通公園は2020年東京オリンピックマラソン及び競歩のスタート・ゴール地点でもある。

9終わりに
これまで「ダンスハ體育ナリ?」では表現の自由や個々人が小さくても表現をすることの大切さを扱ってきた。それは戦時期に政府が芸能(特に演劇)を積極的に活用し、支援により統制を行っていこうとしていったことや現代舞踊のコンクールが始まり、プロパガンダ的に利用しうるものを利用し、それ以外を排除、禁止していくという時代の流れがあったためでもある。中止になったがひろしまトリエンナーレの事前審査方式の設置やあいちトリエンナーレの組織委員会(仮)の設置はお金を出すからこういう作品をと注文をつける感じに似ているのではないか。CMを作る際のスポンサーのようなもので、それが国であり、県であったということである。本来は芸術家の自由な発想に基づくべきものであるにもかかわらず、求められているイメージに沿わせようと思ってしまうことは、過度の「自粛」と似て実は危険なことではないだろうか。
各自治体が映像制作などアーティスト支援策を出してはいるが、仕事がないから作品を作るのではないし、国や自治体のために作るわけではない。作品はおのづから生まれ続けるものであることを忘れないようにしたい。
本来芸術活動は美の探究であり、社会や世相に対する声でもある。このような危機的状況は新しい価値観が生まれる時でもある。政治や経済に対する考え方、ライフスタイルが大きく変わる今だからこそ、小さな個々人の呟きを重視したい。大きな流れを支援するよりも小さな可能性を広げるための支援が必要なはずであり、それが本来の民主主義における芸術文化活動を支援する理由である。このコロナ禍でこれまでの形とは異なる芸術の形が始まると感じている。

クレジット
レクチャーパフォーマンス  木野彩子、きのさいこを語るーダンスハ體育ナリ?札幌編ー
2020.7.5. 14:30
札幌カナモトホール第2会議室(旧市民会館)
構成・出演・映像・配信木野彩子
音響國府田典明
制作 : 溝端俊夫
主催 NPO法人ダンスアーカイヴ構想
協力:高橋正和、鳥取県立図書館

シラバス
       開講日時|202075日 14時半―
       科目名|レクチャーパフォーマンス  ダンスハ體育ナリ?其ノ2.5 札幌編ー木野彩子、きのさいこを語るー
       担当教員|木野彩子
       使用教室|札幌カナモトホール第2会議室(旧市民会館)
       授業計画|
       簡単な自己紹介
       1940年の幻の札幌オリンピック
       1972年の札幌オリンピック
       1972年のミュンヘンオリンピックと寺山修司
       1984年残念札幌オリンピック
       2026年夢よもう一度札幌オリンピック
       2030まだよぶの?札幌オリンピック
       スポーツは必要だけど、芸術は不要不急?

       「走れメロス」で踊ってみた