2020年12月31日木曜日

2020年 真っ暗闇を歩く

 2020年 

 

ある日真っ暗闇をみせられた。いや、そんなことないです、何かできることはあるはずですと言って私は鳥取までやってきて、できる限りのことをした。しかし世の中は変わらないことを知った。夏至祭も銀河鉄道祭もかなりの規模で私自身のことをすべて捨て置いて動いて努力はしたが、結局、この世の中の人は「変わりたくない」。

お金が動くか動かないかの中で動いている人たちの中にいてそもそも芸術とは何かと考えた。

芸術とはそもそもせざるを得ないエネルギーであったはずだが、「文化」や「アート」と名づけられ、社会の役に立つものでなければできなくなってしまった。私の作品を見続けている人ならわかると思う。ダンスが音楽に合わせて行う体操運動になってしまい、集団による統一感を求めるものになっている現状。面白いか面白くないかで判断される状況。それならディズニーのようなエンターテイメント1個あればいいよね。(その典型が鬼滅の刃ブームに現れているように感じる)多様なあり方を求める姿勢はどこにいったのだろう。

「ほんたうのさいわい」は人により異なるので、やりたい、したいを否定することはできないし、それはそれでできるように応援していく。しかしメディアや教育の影響が大きく感じられるし、この年代で私がいくら言ったところで伝わらないし、理解できないことが残念だと思う。そしてこの社会を生き抜く上で私のような考え方が逆行していることも感じている。

逆にいうと全てを変えるには教育から考え直さない限り無理だろうなという気がしている。

 

最近思うのは、この人たちはわからないんだなということだった。

石牟礼道子さんは「日本も行くところまで行かないと、目が覚めないのかもしれない。それで復活できないのなら、それだけのものでしかなかったということだろう、と思わなくもない。でも、やはりそうなってほしくない、と祈るような気持ちはございます。」という。(田中優子による指摘、『倫理観や指摘はどこに』より)

小学生の頃からうっすら感じていたけれど大人になったらわかるのだろうと思っていたが、阪神大震災、東日本大震災、福島と多くの災害を受けそれでも目覚めない日本をみながら、そして実は近い距離にあった政治の世界を見ながら、あるいは世界全体を見ながら、コロナも含め人は滅びるべきだという自然からの声なのではないかと最近は改めて思う。

 

移動ができなくなって、観光業、運送業が厳しい状況になっているのはわかっているが、空気は確実に澄んだ。鳥の声がちゃんと聞こえるようになった。鳥取はもともと自然豊かな土地ではあったが、それでも明確な差を感じる。首都圏はより一層だと思われる。

人が自然に対し行っていることはアメリカが先住民に対し行ったことににて、日本がアイヌに対し行ったことににて、勝手に勢力を広げ掠奪することに過ぎないのではないか。

また、基地問題や原発や風力発電なども小さなお金で将来的なすべての負担を負わせる掠奪に近い状態と言えないか。そうしないと私たちは生きていくことができないのだろうか。

 

この世の中には知らない方がいいこともある。

悲しいけれど、知らなければ、その世界でそれなりに幸せを追い求めることができる。エルサレムのアイヒマンの問題はそんなに遠いことではないと私は感じている。1940年のオリンピック、1964年のオリンピック、1972年のオリンピックについて学んできた。現代史をあまりにも知らない学生(観客)に驚く。オリンピックの闇以上に、開発という名の破壊を、そして拡大を求めるが故に起きた戦争やテロ、それらがなぜ起きるのか、その闇をみる必要はないのかもしれない。でも、それでいいのだろうか。

 

真っ暗闇は変わっておらず、さらに悪化している。正しくはその時はそこまでと思っていなかったところまで落ち込んでいる。ただただ走れと言われて走るけれど、この世を変えるどころか、大切な人を壊していくだけだという。しばらく大きな舞台はお休みです。

 

2020年

 2020

新型コロナウィルスの流行により、大打撃を受ける舞台芸術業界の中、できるべきことを行ってきた。小さい、また地方であればできることも多数あったと思う。

こういう時だからこそ、地域発信型のものを応援していくべきだと私は考えている。

 

一方、オンライン授業や配信番組を見ながら、結局私たちは何がしたいのだろうかと考えた。映像にすることにより世界中に配信できる一方、本来の舞台芸術の良さから抜け落ちているものも確実にある。では、本来の舞台芸術とはなんだったのかということだ。

映画、テレビドラマ様々な映像文化があり、そこで真似事をして配信事業を始めても結局は「資産のある」プロジェクトが勝つだけに過ぎない。あえて、生身のパフォーマンスにこだわるのであれば、その意味を出していくべきではないだろうか。

呼吸や間合い、そして気配。

今ない価値観を作り出すこと。

今見えないでもあることを見えるようにしていくこと。

それらは言語化、デジタル化できない範囲で、それこそが人にしかできない部分かもしれない。AI化が進む中、人としてできる最後に残された範囲なのではないかと密かに思っている。

 

作品

『【補講】ダンスハ保健体育ナリ?』(映像作品27分、後に15分バージョンも作られる)

鳥取大学同僚佐々木友輔さんとの共同制作。これまでのレクチャーパフォーマンスシリーズ『ダンスハ體育ナリ?』のコロナ対策特別バージョン。3月初旬のオンライン映像祭Films from no where に出品。http://kannaibunko.com/event/937

大岩雄典さんの批評https://bijutsutecho.com/magazine/review/21915

 

『鳥取夏至祭2020

例年3日間の即興音楽とダンスのフェスティバルとして行っているものの、新型コロナウィルス問題で3月後半に中止を決定。参加希望者に声かけを行い、オンラインのフェスティバルとして開催。毎週2回のリハーサルを行いながらオンラインでできることの可能性を探り合い、621日(夏至)にはわらべ館でオンライン・オフラインイベントを開催した。鳥取県内の感染状況を踏まえ、県内参加者は集まり、わらべ館を紹介したりワークショップを行うこととした。

このコロナ問題は長くかかるだろうことを予測し、できる時にできることを。それを踏まえての判断でもある。

 

『ダンスハ體育ナリ?其の二.五 札幌編 木野彩子きのさいこを語る』

舞台芸術は半年、1年前に企画が決まる。コロナがここまで問題になる前に企画していた舞台公演を、今、できることを行える時にと思い、超少人数観客、オンライン配信で開催した。2020年オリンピックが開催されるか危うい状況ではあるが、なぜ、急に札幌がマラソンの会場になったのか。実はIOCが札幌でオリンピックをしたいという願望であるものの、そもそもオリンピックのあり方を問わねばならないのではないか、それを問うためのものであった。札幌の街はオリンピックでできていると言って過言ではなく、雪まつりも自衛隊の協力あってこそでもある。沖縄の問題は私の故郷である札幌、北海道の問題にそのまま重なってくる、そう思って作成した、自分語り作品でもある。

 

母はそれを恥と思い肺疾患を抱えているにもかかわらず、関東へと出て行った。みなくても良いと思っていたが、よほど許せなかったのだろう、その後攻撃になり、それは私にとって悲しいことであった。これまで私はいつか理解してもらえるものと思って、また母から社会的な地位を求められていたので、努力していたものの(だから鳥取で大学の先生にもなったんですね)、今回の件で、私が踊り続けること自体が許せなかったのだということに気がついた。悲しいことではあるが、経済的には苦労していない両親から離れ、生きることにした。

 

それに伴い、ブログを閉鎖し、私は生きていないことになった。

 

いなくなるように努める。

それはもうだいぶ前から続いている。


『私という名の現象』

ダンスボックス (神戸)の照明研究会で行った12分の作品。宮澤賢治『春と修羅序』の詩をもとに作成。三浦あさ子(照明)とのコラボレーション、1月3日より期間限定公開予定。

 

asynchronous 非同期的

マリンバ奏者tomo.さんにお声掛けいただいたパフォーマンス。

実は外からの依頼で鳥取でパフォーマンスをするのはほぼ初めて。(菊池ひみ子さんに誘われた鳥取夜市のまちなかパフォーマンスは別として)夏至祭、銀河鉄道祭いろいろ行いながら、かれこれ5年誰からも誘われないままいた時に声をかけてもらい、救われました。

会場が家の近所(Ano soko)ということもあり、まさか身近にこんなスペースができていたということにも驚いたし、燕珈琲さんはじめ多くの人に出会うことができました。ありがとう、tomo.さん。

 

oil,water and woman

鳥取県立博物館の現代美術展示の中で踊ることにしました。原口典之さんの作品『oil and water』の水のプールで踊ることになったので、足してみました。リハーサルを行い、いろんなことが想起され、『死者の書再読』(2018)、『みみをすます』(2017)、『静』(201420122010)『筒井筒』、『OvO』『Edge』などいろんな作品の要素を詰め込んだ(少なくとも私はそれを思い出した)機会となりました。

 

企画

わらべ館 音とからだで遊ぼう! 即興音楽とダンスのワークショップ

鳥取夏至祭と共に始めたこの企画は例年夏至祭の関係者に再び鳥取にお越しいただくことにしていました。今年はコロナ問題を受けて鳥取メンバーでなんとか頑張ろう!という形になり、荻野ちよさん、田中悦子さん、森本みち子さん、高橋智美さん(わらべ館職員)が様々なアイデアを出しながら開催してきました。

途中照明の三浦あさ子さん、体奏家新井秀夫さんにお越しいただきながら、自分たちでできることを模索した会でもありました。最終回11月のレポートは荻野さん、田中さんに書いていただきました。

http://www.rs.tottori-u.ac.jp/artculturecenter/artmanagement2020/archives/news/warabe_20201128/index5432.html?post_type=news%26p=5424

 

2021年は文化庁事業としては申請をしていないのですが、なんらかの形で少しずつ続けていけるようにと思っています。

 

フクシアート まちなかパフォーマンス

11月に開催されたまちなかパフォーマンスは私の企画ではなく、アートスペースからふるさんからのお声かけなのですがコーディネートを担当し、様々な方に関わっていただきました。6月夏至祭を開催できなかった代わり、でもありますが、普段関われないところにも携わることができ良い機会となりました。

 

 

これらを経て思うことは、

映像や配信事業ゆえの広がりはあるものの、それを追求したら映画やテレビドラマに吸収されてしまう。なぜ私がパフォーマンスを行うのかを考える必要がある。親にまで否定されながらそれでもせざるを得ないのは、ただただ自分の大切な人たちに生き延びてほしいと思ったからだ、ということです。

 

すべての人に幸せが訪れますように。