2015年6月27日土曜日

一期一会 第1回山崎阿弥さん

一期一会
四谷三丁目の小部屋に集まる方々と語り、それをもとに踊るシリーズ。毎回テーマをもとにプレ・アフタートークを行い、身体について学びます。前からよく知っているのに実は初顔あわせなあの人に出会う会。


場所:綜合芸術茶房 喫茶茶会記
   http://gekkasha.modalbeats.com
   〒160-0015 新宿区大京町2-4 1F
   電話 03-3351-7904
   メール sakaiki@modalbeats.com
日時:おおよそ偶数月第三日曜夜19時半より
料金:2500円(1ドリンク込み)
ご予約:kinokoticket@gmail.com(キノコチケット)
もしくは茶会記まで。


第1回419日 見えないものを形にする行為
ゲスト:山崎阿弥 Ami Yamasaki(Voice)
声のアーティスト、映像・造形作家。声で空間の陰影を感得しインスタレーションやパフォーマンスによってその濃淡を引き出したり/失わせたりすることを試みる。13年はRMIT(豪)とACAC(青森)、14年はTWS本郷(東京)で作品発表。生西康典演出作品への出演、灰野敬二、飴屋法水、松島誠、外山明らとのデュオ、伊勢神宮での歌唱、沢口真生とのサラウンド制作など分野を亘り共創。15年は捩子ぴじんの新作に参加。

幅広い声のパフォーマンスもさることながら、美術作品へと転化させていくその過程に着目、なぜ、またどのようにして制作し始めたのかについてお話を伺います。



やっと文字起こしを終了し、再び見返してみて、最終的にかなり話しが広がりました。
キーワードになる言葉をあげていくと(正式に公開するかはまだ決まっていないため誰の発言かはわからないままにしています。木野、山崎さんの他お客さんの言葉も含んでいます)
シェアってどう思いますか?
教えるとかワークショップとか、そもそもシェアという言葉自体についてもそうだし考えなきゃいけないところでしょうね。表現者にとってのオリジナリティとは何かということにもつながっていく気がします

生まれたときからうたっていると思っていて、最近は大分落ち着いてきましたけれど、それでも私うたうと思っただけで泣きそうになる

心臓の周りを包んでいる歌、歌って思うだけで泣けてきちゃうこれは何だろう

少なくとも3分の1くらいはオーディエンスの力でそのパフォーマンスはできていると表ちるんです。3分の1は私。後3分の1は出会ったときにもう一個生まれるみたいなそんな感じで。それで1になっているような気がするんですよ。


耳がここ(顔の横)でなくてここ(顔の前)にあるって。ここで聞いてるって。自分がつぶつぶになってどこにでもいるなと思って


正解にたどり着く方程式ってないんですけれど、必要な練習量ってあるんだ


私のその声というのは自由にネットワークしていく力だ とかいてくださって。


その人一人だとその音出せなくて、お客さんがいて、相手がいてセッションだからこそ自分の本来の力じゃないところへいける


その人が生きてきた過程と、どう生きているかが如実に出てしまうのが舞台

でもやっぱりもっぱら時間を使っている人のすごさってあるんじゃないか

作るって何かすごい、もっと何か敬意を持って接せられてよいと思う


一般のお客としては面白ければいいんだよってそうなっていくと思うから、そこで売れる、売れないというのを意識してはいけない


踊ることでつらかったり悲しかったりそういうものなんでも浄化していくところがあって、だから踊らずにはいられないんですよ。踊ることで昇華していく。


振付家それぞれに身体のたどってきた歴史みたいなのがあって


感じすぎるな考えろ


私の声に対して、懐かしいって言ってくれる人がたくさんいる


あの行為にたいし絶対に黙らずにいてやるんだ、だから私は言葉が必要で、音も必要なんだ。で、その全てを歌と呼ぼうとしているんだ。音と言葉を結託してあれに立ち向かうというか。対峙するんだと思いました


勝負というのは共演者というかその相手とどっちが勝つかでジャッジするのがお客さんだったのが、そのお客さんのどこに響くかに意識が変わった。

どんな形であれ私との関わりの中でそれがその人の中でぱぁーっと波立ったら素敵だなと

無作為の作為


そういう全部取っ払ってダンスじゃないなにかのパフォーマンスが作れたらいいな


私とか作品が媒介になって音が聞こえたりするのがいいなって思う


内容は公開しないかもしれない(見に来た人だけの秘密なのかも。)ですが、様々に学ぶことがありました。
A4 23ページ。何回かくじけ遅くなってしまったけれども、自分が話していることを文字にしてみなおすという作業はとても面白い。Amanogawaプロジェクトもそうですが、ダンスをやっていると言葉にするのがとても苦手。自分の言葉のつたなさもわかり、また飛び具合もわかり(ごめん阿弥さん)。
時間はかかっていますが、やっぱり作品も面白いけれど、その人のたどってきた歴史、経緯はもっと面白いと思います。