終わりに。
大学を卒業したのは今から20年近く前のこと。10何年か経って向かい側にある大学院で学びながら様々なスポーツの話を聞き続けた。舞踊教育は体育の管轄だから。2020年はオリンピックで(ちなみに修士を受験した日がオリンピック決定の日であった)体育・スポーツ業界は活気づいていた(今もますます盛り上がっている)。が、一方でその先を見据えようとしていた。今回取り上げている多くの体操関連の論文、書籍は体育史の研究者がこの2、3年ほどに出したものである。今の政治情勢は80年前にあまりにも近いと感じているからかもしれない。
2年前『ダンスハ體育ナリ』で女子体育、舞踊教育をお茶の水女子大学の歴史とともに取り上げた。その後国立大としては唯一の芸術文化センターのダンス教員として赴任し、明るく楽しく健やかに踊りたい学生さんや一般の皆さんに運動としてのダンスを提供しながら、私のダンスはなんだろうかと模索している。今回は体育、体操の歴史を見ることでダンスについて考えてみたい。そのために選んだのは「スポーツの聖地」明治神宮外苑競技場(のそばの聖徳記念絵画館)。
そうして見えてきたのは、健康というイメージに踊らされていないだろうか、そもそも健康ってなんなのだろう? 正しいって? という素朴な疑問だった。
身体を通してしか人はものを考えることができない。どんなに技術が進化しても、それぞれの身体から離れることはできない。だからこそ私は身体と対話し続けてきた。それが私にとってダンスだと感じている。作品とは一歩を踏み出すために作り出す哲学のようなものだと感じている。運動量は少ないかもしれない。ダンスを作る過程はそんなに明るく楽しく健やかなものではないし、創作中私は真っ暗闇の石炭袋を覗き込んでいるような気持ちになる。それでも踊らざるをえない人がいて、そういう人たちが新しいダンスの領域を切り広げてきた。
ダンスもスポーツも社会に利用されつつ発展してきた。教育とは社会に合う人間を作り出すシステムで、知らず知らずに影響を受けてしまうものだからこそ、知る必要がある。伊丹万作は「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」という。「あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従
に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体」だと指摘する。(伊丹万作『戦争責任者の問題』、1961)知った上で自分の頭で考える。当事者として感じ、考えるところからしか人の心に響く踊りは生まれない。だから創作活動は傷だらけ。現代はそんなにファンタジーじゃないし、カッコつけてる場合じゃない。今、必要なことを考えるためのダンス。それを私は作りたいと思う。
ダンスは体操でもスポーツでもない。
誰かの評価で優劣を付けれるものでも、争うものでもなかったはずだ。
見栄えや観客数にとらわれてはいないだろうか。効率や社会的成果を問われるようになり、また倫理や道徳を守るように促され、芸術表現の幅が狭まってきているような気がしている。それはドーピングの取締りがどんどん厳しくなっているスポーツ業界や不倫がものすごく大きなダメージとなるエンタメ業界を見ていても同様だ。でもそれって息苦しくないだろうか。本当はもともと全て遊びだったはずなのに。大きな時代の流れは変わらない。明治神宮外苑も変わらない(なお、絵画館は関東大震災も東京大空襲もくぐりぬけ創建当初の形を保っている)。私のやんちゃな提案にもビクともしない。それでもなお、檸檬は投げてみるべきもの。それが芸術のなせる技。一人でも心がざわつく人が生まれたら、それはちょっと幸せなことではないかと思うようになりました。
本レクチャーパフォーマンスは一昨年、昨年鳥取大学の一般教養科目として開講された「グローバル時代の国家と社会」第5講の講義『身体の自由・私事性と国家—体育からスポーツそしてダンスへ—』を元に作成しました。地域学部教員11人によるオムニバスの授業であり、多様な視点を取り入れることにつながっています。また、修士在学中に受けた筑波大学社会人大学院人間総合科学研究科スポーツプロモーションコースでの講義からも多くのヒントを頂きました。特に明治神宮競技場、競技大会の存在を知ったのは菊幸一、真田久両教授の講義によるところが大きいです。学んだことを元に表していくという行為は論文も作品も同じで、蓄えたことを世に問わねばならないという姿勢もこの中で教わったと感じています。当たり前にあることをもう一度見直してみる。至らぬところもありますが、今後も学び続けていくことで、お許しください。
大学を卒業したのは今から20年近く前のこと。10何年か経って向かい側にある大学院で学びながら様々なスポーツの話を聞き続けた。舞踊教育は体育の管轄だから。2020年はオリンピックで(ちなみに修士を受験した日がオリンピック決定の日であった)体育・スポーツ業界は活気づいていた(今もますます盛り上がっている)。が、一方でその先を見据えようとしていた。今回取り上げている多くの体操関連の論文、書籍は体育史の研究者がこの2、3年ほどに出したものである。今の政治情勢は80年前にあまりにも近いと感じているからかもしれない。
2年前『ダンスハ體育ナリ』で女子体育、舞踊教育をお茶の水女子大学の歴史とともに取り上げた。その後国立大としては唯一の芸術文化センターのダンス教員として赴任し、明るく楽しく健やかに踊りたい学生さんや一般の皆さんに運動としてのダンスを提供しながら、私のダンスはなんだろうかと模索している。今回は体育、体操の歴史を見ることでダンスについて考えてみたい。そのために選んだのは「スポーツの聖地」明治神宮外苑競技場(のそばの聖徳記念絵画館)。
そうして見えてきたのは、健康というイメージに踊らされていないだろうか、そもそも健康ってなんなのだろう? 正しいって? という素朴な疑問だった。
身体を通してしか人はものを考えることができない。どんなに技術が進化しても、それぞれの身体から離れることはできない。だからこそ私は身体と対話し続けてきた。それが私にとってダンスだと感じている。作品とは一歩を踏み出すために作り出す哲学のようなものだと感じている。運動量は少ないかもしれない。ダンスを作る過程はそんなに明るく楽しく健やかなものではないし、創作中私は真っ暗闇の石炭袋を覗き込んでいるような気持ちになる。それでも踊らざるをえない人がいて、そういう人たちが新しいダンスの領域を切り広げてきた。
ダンスもスポーツも社会に利用されつつ発展してきた。教育とは社会に合う人間を作り出すシステムで、知らず知らずに影響を受けてしまうものだからこそ、知る必要がある。伊丹万作は「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」という。「あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従
に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体」だと指摘する。(伊丹万作『戦争責任者の問題』、1961)知った上で自分の頭で考える。当事者として感じ、考えるところからしか人の心に響く踊りは生まれない。だから創作活動は傷だらけ。現代はそんなにファンタジーじゃないし、カッコつけてる場合じゃない。今、必要なことを考えるためのダンス。それを私は作りたいと思う。
ダンスは体操でもスポーツでもない。
誰かの評価で優劣を付けれるものでも、争うものでもなかったはずだ。
見栄えや観客数にとらわれてはいないだろうか。効率や社会的成果を問われるようになり、また倫理や道徳を守るように促され、芸術表現の幅が狭まってきているような気がしている。それはドーピングの取締りがどんどん厳しくなっているスポーツ業界や不倫がものすごく大きなダメージとなるエンタメ業界を見ていても同様だ。でもそれって息苦しくないだろうか。本当はもともと全て遊びだったはずなのに。大きな時代の流れは変わらない。明治神宮外苑も変わらない(なお、絵画館は関東大震災も東京大空襲もくぐりぬけ創建当初の形を保っている)。私のやんちゃな提案にもビクともしない。それでもなお、檸檬は投げてみるべきもの。それが芸術のなせる技。一人でも心がざわつく人が生まれたら、それはちょっと幸せなことではないかと思うようになりました。
本レクチャーパフォーマンスは一昨年、昨年鳥取大学の一般教養科目として開講された「グローバル時代の国家と社会」第5講の講義『身体の自由・私事性と国家—体育からスポーツそしてダンスへ—』を元に作成しました。地域学部教員11人によるオムニバスの授業であり、多様な視点を取り入れることにつながっています。また、修士在学中に受けた筑波大学社会人大学院人間総合科学研究科スポーツプロモーションコースでの講義からも多くのヒントを頂きました。特に明治神宮競技場、競技大会の存在を知ったのは菊幸一、真田久両教授の講義によるところが大きいです。学んだことを元に表していくという行為は論文も作品も同じで、蓄えたことを世に問わねばならないという姿勢もこの中で教わったと感じています。当たり前にあることをもう一度見直してみる。至らぬところもありますが、今後も学び続けていくことで、お許しください。
Dance Archive Project 2018 ダンスハ體育ナリ其ノ弐 建国体操ヲ踊ッテミタ
2018.2.11 11::00/14:30 start
明治神宮外苑聖徳記念絵画館会議室
構成/出演:木野彩子
舞台監督・照明:三枝淳
音響:國府田典明
制作:樫村千佳 溝端俊夫
チラシ・プログラムデザイン:北風総貴
主催:NPO法人ダンスアーカイヴ構想
共催:有限会社かんた、キノコノキカク
後援:鳥取大学地域学部附属芸術文化センター
助成 独立行政法人芸術文化振興基金
協力:鳥取県立図書館、鳥取大学図書館、お茶の水女子大学歴史資料室・デジタルアーカイヴ、吉福敦子、永井美里、上本竜平