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2021年10月5日火曜日

 このコロナ下ではあるものの、何度か温泉寺に通い、住職にお話をお聞かせいただいたり、祈祷を見させていただきました。毎日繰り返し続ける祈祷は仏様のようにありたいと思い、あれないということを思いつつも少しでも自身を高めていく行為であり、この世のために祈り続けるその姿は舞踊のように美しいと思われました。

毎日同じことを繰り返すので、と言いながら、経本はほとんどみない。毎日繰り返すバーレッスンやストレッチ、身に染み付いた振付に似ています。一方で、それはみられるから行うというものでもなく、見る人がいようといまいと、日々の糧としてただ続いていくだけのことなのです。

コロナウィルス は確かに人命を脅かすものかもしれません。この豊岡でも演劇祭が中止になったり、観光地である城崎温泉も厳しい状況であることが感じらます(鳥取でも同様です)。しかしウィルスもまた生命であり、そこに存在するものであるならば、ある種の必然であったのではないかと最近考えるようになりました。多くの天変地異や温暖化も含め、今の私たちの暮らし方そのものを少しずつ変化させていかねばならないし、今のままではダメだよと仏さまなのか、自然からなのかメッセージを、私たちは受け取っているのではないでしょうか。

古くから伝わるものにはなんらかの大切なものが含まれています。最小限何を大切にしなければいけないのか、住職の毎日のお勤めはそんなことを考えさせられるきっかけになりました。まずは毎日の暮らしを見直してみましょう。この参道の美しさや、季節による虫の声の変化、道を彩るきのこや苔たちに気がつくようになったのは、このコロナ下になって以降のことです。自然の営みはそんなに変わっていないにも関わらず気がつけていなかったことが見えてくるようになりました。豊岡は(そして私が住む鳥取は)自然が豊かに残っている土地であり、自然によって生かされていると感じることができる場所でもあります。気持ちを鎮め、少し歩みをゆるめてみることで見える景色が変わってくると感じます。

この土地に今このタイミングで生まれついているということ、今日、同じ時を過ごしているということはある種の奇跡であり、幸せなことでもあります。大変な状況ではあるものの、それでもお会いできてよかった。お越しくださった皆さま、ありがとうございました。そうして励まされる営みだからこそ、規模は小さくとも、あるいは形を変えたとしてもパフォーミングアーツは続けていかねばならないと強く思っています。

 

次は33年後でしょうか。私はもういないかもしれません。(残念ながら今回関わってくれたスタッフ、お客様の多くも。)それでも、十一面観音さんは静かに微笑み続けるのでしょう。コロナでも、異常気象でも、様々な天変地異は今後も起こっていくとしても、それもまたこの世の理。

それでも今、この瞬間に感謝して。

2021926日@温泉寺

木野彩子

 

Stuff

照明 三浦あさ子、田中哲哉

記録 田中良子、bozzo

Special Thanks 

小川祐章(温泉寺)








写真:bozzo


2021年4月1日木曜日

鳥取夏至祭2021





ごあいさつ

 2017年からはじまったこの「鳥取夏至祭」は5年目を迎えました。私(木野)が鳥取に赴任し、この街を知っていくのと共に、新たなパフォーマンススペースや出会いを求めて開拓を続け、鳥取県外の友人ダンサー、音楽家が立ち寄る機会となりました。コロナウィルス感染対策もあり、オンラインとオフラインの併用型になって2年目。小さくてもできることをし続けることの大切さを改めて思います。学生たちの1年は短く、今、ここで出会えなかったらもしかしたら一生出会うことはない。だからこそ、継続していかねばねらないのです。

ナイトミュージアムでは昨年行うはずだった企画をやっと実現します。県外のアーティストは来ることができなくなりましたが、その分鳥取の面白い人々に出会いました。普段は普通に学校の先生などお仕事をしている、でも一本筋の通ったアーティストがぽろぽろと出てきました。アートも地産地消。今こそ鳥取でなければできない表現を鳥取から発信していくことが大事なのではないでしょうか。自分の住む場所の良さを発見し、誇りを持つこと。オリンピックやコロナに踊らされることなく、独自の文化を生み出し続けること。いろんな人がそれぞれの立場で意見を述べることができる場所。鳥取はそんな場所になっていくのではないかという予感がします。

一方で、現実社会ではそんな当たり前のことがしにくくなっているとも感じます。時代による変化というのはありますが、少数派の声は後回しにされ、経済効果だけが求められてしまう。芸術の価値は、お金でははかれないものですが、集客数や話題性だけに囚われてしまう傾向があります。国のお金をもらっているのだから国のいうことをいえと言われかねない始末。鳥取夏至祭はもう一度遊ぶところから考え直してみようという試みです。面白おかしい大人達に巻き込まれながら、学生達も一緒に脱線してもいい人生の豊かさを作り出す、そんな試みです。お金の問題じゃない。ほんたうのさいわいとは何か、それを問うための運動体が作られていくことを目指しています。

今年から鳥取夏至祭の実行委員会に個人名を入れました。メンバーやわらべ館の皆さんに支えられるようになり、少し規模が大きくなりました。変な先生だなと思いながら巻き込まれる学生さんも増えてきました。この子達がまた新たな星となり、いろんな人に出会うきっかけになっていくかもしれないと信じています。

これまで参加してくださった皆さん、鳥取を気にしてくださっている皆さん、いつの日か、またこの土地でお会いできる日を楽しみにしています。鳥取夏至祭実行委員会の皆さん、参加者の皆さん、わらべ館の皆さん、いつもありがとうございます。楽しい時を過ごしましょう。たとえこの世の中は真っ暗闇になっても、その記憶が光となる。だからこそ。 

木野彩子


鳥取夏至祭のこれまで

•2017年駅周辺の賑やかなエリア(風紋広場、けやき広場、ヤマネデンキ(現office24)、袋川土手など)

•2018年とりぎん文化会館周辺の文教地区と呼ばれるエリア (とりぎん文化会館中庭、県立博物館、わらべ館、カルマ、真教寺公園など)

•2019年比較的静かな住宅街エリア(樗谿公園、鳥取東照宮、樗谿グランドアパート、Hospitale(旧横田医院)など)

•2020年オンライン・オフライン開催(わらべ館)



鳥取夏至祭2021

コロナウィルスの感染拡大が進行する中、「芸術文化のあゆみを止めてはいけないのではないか」とわらべ館の方と相談し、開催を決定したのが今年の3月。それからできることを模索してきました。多くの都道府県で緊急事態宣言が出される中、アーティストを招くのではなく、鳥取県内のアーティストで行うべく、計画を立て、これまで関わってくれていた県外の皆さんには映像等でサポートしていただく形にしました。また、会議システム Zoom を利用したワークショップや実行委員会を毎週2回程度、定期的に開催し、この企画の運営を行ってきました。

昨年の経験が生かされ、オンラインの表現や可能性の模索に拍車をかける一方、生身の身体の表現の豊かさを改めて感じます。身体から発している波動のようなものはやはりオンライン・映像ではなかなか味わうことができないものです。そのような喜びを噛みしめながら、今年も夏至を迎えます。今回くることができなかった皆さまに愛を込めて。いつか、必ず、またお会いしましょう。


鳥取夏至祭2021HPにてナイトミュージアム の映像を公開しています。7月22日まで。

https://geshisai2021.jimdosite.com


2021年3月1日月曜日

こぶし館3つの光 プログラムノーツ

 今回それぞれがそれぞれにテキスト等を用意しています。

昼の光とたそがれの光は内容が異なり、前者はほぼ行う内容、時間軸、空間の移動経路がフィックスしています。たそがれの光はその部分を膨らませながら、拡張させていて、全ては自らの身体が暗闇に溶け込んでいくその時に向かっての伏線のように張り巡らされています。全てを見れた人は写真の田中さんくらいですが、全てを見たらそれはそれで面白い。

緩やかにその場所でしかできない、その場所のためのパフォーマンス。そしてパフォーマンスがあることでその場所のヒカリや空気、音に気がつくようなインスタレーションとしてのパフォーマンスです。


この手、わたしの顔に触れようと夢みながら、ぼんやりと、何か深い目的にでも従っているのか、この手は待っている、わたしの弱さから涙がひとしずく溶けて流れるのを。

そしてまた、わたしの運命からゆっくりと分かれ出てきた、もっとも純粋なものが敗れた心を黙々と照らし出してくれるのを。手のひらに影を移してみる。触れようとしても影そのものには触れることはできない。

ヴァレリー


昼の光

ある晴れた日

手のひらに影を移してみる。触れようとしても影そのものには触れることはできない。

 

ヒカリのシカクを薬指でなぞってみる。

床に耳をつけてなぞる音を聞いてみる。

 

マドのシカクをなぞってみる。

射し込む光は暖かい。

 

鳥の声が聞こえる。2週間前は鳥たちもいなかったのに、もう春らしい。

窓の外はあんなにも自由なのに。

息をすることすら忘れていた。言葉にならない声が溢れる。

 

この部屋は美しい。

時々刻々と時が流れ、ヒカリのシカクも移動していく。私も立ち上がらなければならない。

 

白い壁はひんやり、つるりとしている。

私の身体に影を移してみる。しかし光がぼやけてしまい像に結びつかない。2重に3重にいる彼方は誰。

30年の間にできた小さな傷を薬指で撫でていく。指先の触感で見なくても辿ることができる。そしてその音をきいてみる。

壁に、床にある傷やしみは一つ一つがそこにいた人の記憶。

この部屋は小さな音で溢れている。

 

丸い星はなぜ一つだけ銀色なのだろう。小さく小さく揺れている。私もまた星の一つとして揺れている。

その飴玉のように甘い毒は私が預かりましょう。

 

誰もいない食卓はそのままあり続けていた。傷を辿っていくとヒカリのシカクにたどり着く。シカクを薬指でなぞってみる。

崩れ落ちる。左肩だけがほんのり暖かい。

ふるさとはとおきにありておもうもの

「おかあさーん」[1]という声が聞こえる。猫のように小さく丸く収まろうとするがはみ出てしまう現実。

束の間の休息、大いなる正午。

 

射し込む光の方へ手を差し伸ばす。目覚めたら手の指がなくなっていた。なぜ私が。誰にでも、いつでも起こり得た。そういうことだった。

ヒカリのシカクをこぶしでなぞるが、怒りにもならない。

誰もいない食卓に一人残され、じっと手を見る。

 

そんなことはなかった。そう信じたい。指があるのであればせめて祈りましょう。窓の外では鳥が鳴き、雲が流れる。「小さな空」[2]を想起させる。

ここには誰もいない。そしてこないだろう彼方を待ち続けている。かれこれ30年。建物の小さなつぶやきは傷の中に、しみの中に積もり重なっていく。

 

おどりとは本来そのような記憶や想いを自身の中に受け取って、あらわれ出させるものでありました。ある種のメディウム(メディアの複数形、巫女)であり、それは特殊な技能ではなく、すべての人が持っていたものでした。丁寧に物事をみること、ふれること、きくこと、それを促すためのインスタレーション・パフォーマンスです。



[1] ハンセン病フォーラム(2019)に合わせて行われたアンケートに基づく。会場内の椅子の上にその際の記録集を置いておきます。

[2] 武満徹作詞・作曲










たそがれの光

 

ある晴れた日

2時を過ぎるとヒカリは弱くなっていく。手のひらをヒカリにかざすが、時々刻々と弱まっていくのを感じる。手のひらと手の甲。表と裏で感じ方が違う。どちらが表か、どちらが裏か。

右腕で左肩に触れる。うっすら影に入ってしまっていて少し冷たい。引っ張り寄せて暖かい場所へ連れて行こうとする。そのような無理をしても、もう左肩は戻ることはない。肩も腕も物質であったのだということに気がつく。

 

白い壁はひんやり、つるりとしている。

私の身体に影を移してみる。しかし光がぼやけてしまい像に結びつかない。2重に3重にいる彼方は誰。

30年の間にできた小さな傷を撫でていく。指先の触感で見なくても辿ることができる。そしてその音を聞いてみる。

壁に、床に一つ一つがそこにいた人の記憶。

この部屋は小さな音で溢れている。

 

窓を開ける。

鳥の声が聞こえる。2週間前は鳥たちもいなかったのに、もう春か。

窓の外はあんなにも自由なのに。

息をすることすら忘れていた。言葉にならない声が溢れる。

 

あたたかさを求めて移動する。ベンチにちょこんと腰掛け、温まろうとするが、眩し過ぎるヒカリにやられてしまう。直接みたり触れようとしてもできない。私には寄り添うことしかできない。

 

ヒカリのシカクを薬指でなぞってみる。

壁に耳をつけてなぞる音を聞いてみる。

 

マドのシカクを薬指でなぞってみる。

射し込む光は暖かく、手だけでもそれに触れようとする。

机の傷を薬指でなぞってみる。

机に耳をつけてなぞる音を聞いてみる。

手のひらをみる。じっとみる。手のひらと手の甲。感じ方が違う。

机の傷を辿りながら誰もいない食卓を回っていく。思いがけず「いない人」に出会うことがある。そこでいないことにするのか、認めるのかはその人に委ねられる。

 

机の傷に導かれていく。ヒカリのシカクの傍に横たわり、あたたかいヒカリを手に受ける。それをぎゅっと握りしめる。

空には一面のお星さま。なぜ一つだけ銀色なのだろう。小さく小さく揺れている。私もまた星の一つとして揺れている。

 

射し込む光の方へ手を差し伸ばす。目覚めたら手の指がなくなっていた。なぜ私が。誰にでも、いつでも起こり得た。そういうことだった。

誰もいない食卓に一人残され、じっと手を見る。

 

そんなことはなかった。そう信じたい。指があるのであればせめて祈りましょう。窓の外では鳥が鳴き、雲が流れる。

ここには誰もいない。そしてこないだろう彼方を待ち続けている。かれこれ30年。建物の小さなつぶやきは傷の中に、しみの中に積もり重なっていく。

 

この部屋は美しい。

時々刻々と時が流れ、ヒカリのシカクも移動していく。私も立ち上がらなければならない。その飴玉のように甘い毒は私が預かりましょう。

 

耳をふさぐ。ザーッと血流の流れる音が聞こえる。指関節が動くとその軋みが聞こえる。建物だけではなく私自身の中もまた傷やしみを多く抱えていて身体の中には小さな音が溢れている。

 

17:57、日の入りののち、私も彼方も闇の中に溶け始める。この壁にうつしだされた影もまた徐々に薄くなり、私との境目をなくしていく。影に触れることはできないが、影と共にあることはできる。「わたし」という存在を消失させていくことによって、影を移し出そうと試みる。いや、影を移し出すのではなく、私が影にのまれ溶け込むだけだ。

たそがれとは誰そ彼、私が私ではなくなり、彼方が彼方ではなくなる、その瞬間を指す言葉である。

 

 

 

 

おどりとは本来そのような記憶や想いを自身の中に受け取って、あらわれ出させるものでありました。ある種のメディウム(メディアの複数形、巫女の意味も含有している)であり、それは特殊な技能ではなく、すべての人が持っていたものでした。近年、「自己表現」や「自己実現」が求められますが、舞踊はもともと視野を転換させながら、自己を消失していく行為であり、ゆるやかで穏やかな自殺のようなものと考えられます。土方巽が「舞踏とは命がけで突っ立っている死体である」という言葉を残したように。

丁寧に物事をみること、ふれること、きくこと、それを促すためのインスタレーション・パフォーマンスです。



こぶし館3つの光

 こぶし館3つの光と題し、3人のアーティストが関わりつつ作品発表を行いました。木野は「こぶし館とともに在る」というタイトルで昼の会がおよそ1時間、たそがれ時は3時間半に及ぶパフォーマンスを行い、観客は自由に出入りをしながら、光の変化や空間を見る機会としました。完全に静寂(暖房すらも切った状態、写真等も屋外から撮る形)のなか、それぞれに時を過ごしていただく形を取りました。見終わった観客にアンケートで「今、ここで何をみましたか?」と尋ね、それらはまた今後の作品制作や研究へとつないでいきます。

波田野さんによる『光跡』は終了後カードが配られ、各自の家等でこぶし館で起きたことを振り返る作品でした。

この場所の記憶に想いを馳せるそんな機会となったと思います。












2016年12月5日月曜日

2013年の洞窟ダンス

sound and art cultivationで久々にあった大岡さんが懐かしい映像を掘り起こし復活してくれました。2013年。3年前かとれいさん共々思うのでした。

Sound and Art Cultivation





Sound and Art Cultivation

三重県松阪にあるレストランカルティベイトさんにて踊りました。











以上2枚は仙石さんが撮ってくれてたもの。でもあの操作をしながらいつの間に!!!


カルティベイトは松坂にあるレストランとアートスペースです。小物などかわいいものが並んでいます。








 この模様はどうやって出ているかというと超アナログです。でも3台使いこなすんだからすごいことです。
おいしいごはんごちそうさまでした。

2016年10月9日日曜日

音楽とダンス、ハーブの時間@森のテラス Sound and Herb vol.4

音楽とダンス、ハーブの時間@森のテラス Sound and Herb vol.4

 昨年森のテラスで開催したイベントが今年も開催されます。見て、聴いて、味わって、緑に触れてしまう、そんな緩やかな会です。のんびりしたテラスでの1日をお過ごしください。


日時:201610813時開場13時半開演
料金:2500円(フレッシュハーブティーつき)
ご予約、お問合せ:kinokoticket@gmail.com(席数に限りがございます。ご予約をお勧めいたします。)


池田千夏:大阪府出身。ピアノ弾き。高校の頃より作曲も始める。ジャズ、即興音楽に傾倒し上京、全オリジナルのピアノトリオを結成、独自のアコースティックな音世界を作る。現在はソロ、デュオなどでも活動中。

木野彩子:踊子。もとは振付家。即興音楽とダンスの可能性を追求するうちに振付から離れてしまう。あんまり考えないでただ踊りなさいと勧められる。札幌東京パリロンドンぐるぐる回って現在はなぜか鳥取。http://saikokino.jimdo.com


ジプシーカフェ葉花:植物の力を身近にをテーマにハーブのある暮らしを提案するユニット。アロマセラピストの八代眞由美、ハーブコーディネーターの金子優子による、ハーブティーとハンドマッサージのミニ講座もお楽しみいただけます。


Dance New Air2016と連携しています。
Dance New Air 2016
2016101日(土)~10日(月・祝) 
2年に一度のダンスの祭典。青山がダンスに染まる10日間!
会場:スパイラルホール、東京ウィメンズプラザ、シアター・イメージフォーラム 他
プログラム:山田うん、伊藤キム/フィジカルシアターカンパニーGEROKENTARO!!/東京ELECTROCK STAIRS、ヴェルテダンス(チェコ共和国)、向井山朋子(オランダ/日本/イタリア)、カンパニー・アドリアンM/クレールB(フランス) 他
http://dancenewair.tokyo
連携特典
「該当公演タイトル」公演のチケットとDNA2016のプログラム(パフォーマンス、ダンスフィルム 他)のチケット計5枚でミナ ペルホネン特製フェスティバルTシャツをプレゼント。詳細はこちら 







今回のテーマ:食事に使われる身近なハーブについて
前半
それぞれのハーブに関するミニ講義とともに10分程度の即興パフォーマンス
⑴オリーブ:オリーブはオリンピックの時の勝者に渡される冠にも使われているそう(わたしは月桂樹だと思っていたのですが、月桂樹は芸術面限定だそう)ということでオリーブの冠とともに。
⑵タイム:夏の夜の夢のタイターニアのベッドという言葉もありましたが、脱線しすぎとカットに。贈り物として使われた逸話から小箱とともに。
⑶ローズマリー:ローズマリーウォーターは若返りの水と言われ、70歳代のハンガリーの女王が隣国の王子にプロポーズされたという言い伝えがあるのだとか。と、いうわけで水で清めさせていただきました。
実際には小物から動くというよりはその匂いと味とお話しが動きを作り出すきっかけになっています。

休憩:これらの食材を使って作ったパン(ローズマリーを発酵して作ったパン)にオリーブオイルを使って食べてみましょう。
オイルにはタイム、ローズマリーの他唐辛子、にんにくなどを詰め保存しておくとパスタなどにも使えて便利です。

後半
口直しに配られたレモンバーベナのお茶をもとに長めの即興、雨が上がったのでテラスへも出て。

最後に池田さん楽曲「みどりのゆび」に合わせて、ハンドマッサージ講座を。

盛りだくさんの1日になりました。
なお、衣装、毎回好評ですが金子さん作です。金子さんはオーガニックコットンを扱っていて、衣装制作の他小物なども作っています。
今回写真を撮るという重大なことを忘れており、一切記録がないという失態をおかしてしまいました。残念です。。。







2016年1月1日金曜日

本年最後の 初めましてのクラシックス


@渋谷 公園通りクラシックス
《 本年最後の 初めましてのクラシックス 》
〜 インプロ、、
坂出雅海(ギター 他)
張紅陽 :熊谷陽子(アコーディオン 他)
清水一登(ピアノ 他)

OBA
立木夏山 (役者)
木野彩子
渡辺久美子
和中和央
武元賀寿子
、 他 飛入り あります

2015年12月19日 
渋谷 公園通りクラシックス
open 19:00 / start 19:30
1drink付き 3000円 当日500円up
◆問合せ先:
渋谷 公園通りクラシックス
03-3464-2701
http://k-classics.net
渋谷区宇田川町19-5 東京山手教会B1F
dancevenus@gmail.com
日本の誇るダンサー・即興家武元さんにさそわれて踊らせていただきました。
いろんなタイプのダンサーさんにお会いできるのはなかなかない機会なので、嬉しいことです。ナオミミリアンさんやら、みづたけ君やら、豪華ゲストが来てしまったこともあり、なんだかすごいボリュームの会になりました。
始まる前にも入り口駐車場でお外ダンス。懐かしい感じ。楽しい時間でした。


一期一会 第4回杵屋三七郎さん

12月20日 一期一会
第4回 現代に生きる古典について
ゲスト:杵屋三七郎さん(江戸長唄、唄方)

杵屋五三吉、三代目杵屋三左衛門に師事。また、東音会市川春子、清元節を清元栄三郎、萩江節を萩江露舟、友郁、小唄を長生秀に師事。日本の伝統芸術や音楽を尊重し、他ジャンルにも飽くなき挑戦を続ける、その姿勢について伺います。







今回4回目の一期一会で初めて事前打ち合わせを2回行いました。長唄「黒髪」と即興、そして話すという展開に。
「黒髪」艶歌です。

「黒髪」
黒髪の むすぼうれたる思いには
溶けて寝た世の枕とて 
ひとり寝る夜の仇枕
袖は片しく妻じゃというて 
愚痴な女子の心も知らず
しんと更けたる鐘の声 
昨夜の夢の今朝覚めて 
ゆかしなつかしやるせなや
つもるとしらで つもる白雪

3分程度の小曲ですが、この曲をもとに長唄と地唄舞の違いについてなど聞く予定だったのですが、「見ながらいくらでも変化していく」唄いの妙で盛り上がりました。
もともと歌舞伎の伴奏として発生してきた長唄(なお、杵屋さんは歌舞伎座などでもうたっていたのだそうです)。楽譜はありますが、基本的に口伝え。さらに間合いはそれぞれの人に任せられているからこその面白さ。そこに駆け引きが生まれ、それはすなわちセッションなのではないかと。

今回、そのあと行った即興で、終わりの動きを決めておくということをしたら、結構マヌケなことになってしまい、大反省しました。
「ここで終わると思ったんだよーでも、なんか終わっていないからさあ〜」という杵屋さん。いや、それはあなたが終わりは決めてくださいと言っていたからです。
でもおそらく私たちは「これ終わり」と思う瞬間を共有していました。

さて、終わりと言いましたが、それがわかる人は必ずしも多くありません。杵屋さんから決めてくださいと言われたのも「なんとなくここかなここかなと思って迷う(探る)自分が気持ち悪い」ため。私もそう思います。本当に少しの差ですが、でも確実に「終わり」があり、でもそれが共有できないと非常に気持ち悪い。
これはダンスに限らず、音楽だろうがなんだろうが一緒だと思います。

様々なジャンルの人とお話をすることは、私の栄養となると考え、この勉強会のようなものを初めて4回。今後も機会を少しずつ作って、いろんな方にお会いしお話を伺っていきたいと思います。
ダンスは(美術も音楽も)見て楽しむものではなく、身体を用いる哲学だと私は思います。踊る人の身体にはそれぞれの哲学がある。それを私は少し覗かせていただく。それが一期一会。
面白い方に出会ってしまったら、それはいつか何か作らなければ。

みなさまありがとうございました!

2015年10月25日日曜日

一期一会第3回 森重靖宗さん(チェロ、写真)


一期一会 
四谷三丁目の小部屋に集まる方々と語り、それをもとに踊るシリーズ。毎回テーマをもとにプレ・アフタートークを行い、身体について学びます。前からよく知っているのに実は初顔あわせなあの人に出会う会。

第3回10月18日 音と写真の一瞬について ゲスト:森重靖宗さん(チェロ、写真)

森重さんはユーグと仲良しということもあり、まえからよく知っていて、しかもよく聞いている(みている)のに、ちゃんと二人で話すということはあまりなく、謎の人だったので、今回お招きしてみました。寡黙な(福地さん曰くストイックな)イメージのある森重さんの別の一面をみることができました。

実は今回会のはじまるまえに少し早めにきてもらっていろいろお話をしていました。ちょっと反省です。
高校時代は普通にバンドやっててギターとか弾いていた話し(なんとそのせいか、灰野さんバンドでベースをやるのだそうだ)や、チェロはすべて独学でマスターしたそうで、工夫の日々という話し、練習曲としてバッハ無伴奏チェロを弾いていること(ちなみにこの日も2人で没頭してしまい、それで開場が遅れました。)など演奏のこともさることながら、写真のことが個人的には興味深かったです。
写真はあくまで、ちょっととってみたレベルのもので、自分は写真家だとは思っていない。しかし写真のなかで日常の普段通り過ぎてしまうようなことに気づく、気づかせるというのが好きで、少しずつ撮っているそう。
写真それ自体というよりもそれから選んで並べたり、並べ替えたりする作業が作品だと思うという話しは音楽等にも同じことがいえる。また、それを選んで並べるからには何かの差があるからでその差を言語化していく感じなんですとのこと。
音楽もダンスも感覚的なので、言語化するのが非常に難しい。
でもAじゃなくてBというからにはBにしようと思う理由(つまりAとBの差)がある。そこに気がついていく作業という感じでしょうか。
あとは次回のゲスト杵屋さんがきてくださっていて、型の話しでちょっといいことを言っていました。型によって皆のレベルがアップし、確かに上手くなる。しかしそれによってそれを超えることはできなくなってしまう。

芸道の多くは見て盗めと言います。
私の師牧野京子はかつてはともかく少なくとも私に関しては放任主義でそのまま放っておかれました。教わってできるようになるようなものはそのレベルでしかないし、それを超えるための方法論が盗むこと。誤解を生じることがあったとしても、それが新しい何かを見つけ出すきっかけになるかもしれない。言語化をさけることで可能性が広がるのかもと最近になって思います。

どんな動きも、演奏も、すべて模索のくりかえし。

2015年9月5日土曜日

Botanica 松野崇展

静岡のアートスペースBotanicaさんにて急遽行われたパフォーマンス。

2015年8月22日(土)
ダンス:木野彩子
音楽:堀池龍二

予定されていたダンサーさんが急にこれなくなったとのことで、急遽頼まれました。それもパリにいるはずの大谷さん(ベルタンポワレ)が帰郷中(静岡出身なのです)でそのつながりでよんでいただきました。
エロスワールド全開な感じなのですが、本当は肖像写真で有名な方。(静岡の老舗写真館の2代目だそう)4階の小部屋は肖像写真で満たされており、そちらの写真の方で私は踊ってみたかったなあと思ったりもしました。様々な職業、年齢の人の写真が並んでいるのですが、10歳を1秒のシャッター時間とし、60歳なら6秒かけて1枚の写真を撮ります。年齢に応じた深みをみることができます。

Performance at Botanica( Shizuoka)
22.08.2015
Dance:Saiko KINO
Music:Ryuji Horiike
Photo: Takashi Matsuno



2015年6月27日土曜日

一期一会 第1回山崎阿弥さん

一期一会
四谷三丁目の小部屋に集まる方々と語り、それをもとに踊るシリーズ。毎回テーマをもとにプレ・アフタートークを行い、身体について学びます。前からよく知っているのに実は初顔あわせなあの人に出会う会。


場所:綜合芸術茶房 喫茶茶会記
   http://gekkasha.modalbeats.com
   〒160-0015 新宿区大京町2-4 1F
   電話 03-3351-7904
   メール sakaiki@modalbeats.com
日時:おおよそ偶数月第三日曜夜19時半より
料金:2500円(1ドリンク込み)
ご予約:kinokoticket@gmail.com(キノコチケット)
もしくは茶会記まで。


第1回419日 見えないものを形にする行為
ゲスト:山崎阿弥 Ami Yamasaki(Voice)
声のアーティスト、映像・造形作家。声で空間の陰影を感得しインスタレーションやパフォーマンスによってその濃淡を引き出したり/失わせたりすることを試みる。13年はRMIT(豪)とACAC(青森)、14年はTWS本郷(東京)で作品発表。生西康典演出作品への出演、灰野敬二、飴屋法水、松島誠、外山明らとのデュオ、伊勢神宮での歌唱、沢口真生とのサラウンド制作など分野を亘り共創。15年は捩子ぴじんの新作に参加。

幅広い声のパフォーマンスもさることながら、美術作品へと転化させていくその過程に着目、なぜ、またどのようにして制作し始めたのかについてお話を伺います。



やっと文字起こしを終了し、再び見返してみて、最終的にかなり話しが広がりました。
キーワードになる言葉をあげていくと(正式に公開するかはまだ決まっていないため誰の発言かはわからないままにしています。木野、山崎さんの他お客さんの言葉も含んでいます)
シェアってどう思いますか?
教えるとかワークショップとか、そもそもシェアという言葉自体についてもそうだし考えなきゃいけないところでしょうね。表現者にとってのオリジナリティとは何かということにもつながっていく気がします

生まれたときからうたっていると思っていて、最近は大分落ち着いてきましたけれど、それでも私うたうと思っただけで泣きそうになる

心臓の周りを包んでいる歌、歌って思うだけで泣けてきちゃうこれは何だろう

少なくとも3分の1くらいはオーディエンスの力でそのパフォーマンスはできていると表ちるんです。3分の1は私。後3分の1は出会ったときにもう一個生まれるみたいなそんな感じで。それで1になっているような気がするんですよ。


耳がここ(顔の横)でなくてここ(顔の前)にあるって。ここで聞いてるって。自分がつぶつぶになってどこにでもいるなと思って


正解にたどり着く方程式ってないんですけれど、必要な練習量ってあるんだ


私のその声というのは自由にネットワークしていく力だ とかいてくださって。


その人一人だとその音出せなくて、お客さんがいて、相手がいてセッションだからこそ自分の本来の力じゃないところへいける


その人が生きてきた過程と、どう生きているかが如実に出てしまうのが舞台

でもやっぱりもっぱら時間を使っている人のすごさってあるんじゃないか

作るって何かすごい、もっと何か敬意を持って接せられてよいと思う


一般のお客としては面白ければいいんだよってそうなっていくと思うから、そこで売れる、売れないというのを意識してはいけない


踊ることでつらかったり悲しかったりそういうものなんでも浄化していくところがあって、だから踊らずにはいられないんですよ。踊ることで昇華していく。


振付家それぞれに身体のたどってきた歴史みたいなのがあって


感じすぎるな考えろ


私の声に対して、懐かしいって言ってくれる人がたくさんいる


あの行為にたいし絶対に黙らずにいてやるんだ、だから私は言葉が必要で、音も必要なんだ。で、その全てを歌と呼ぼうとしているんだ。音と言葉を結託してあれに立ち向かうというか。対峙するんだと思いました


勝負というのは共演者というかその相手とどっちが勝つかでジャッジするのがお客さんだったのが、そのお客さんのどこに響くかに意識が変わった。

どんな形であれ私との関わりの中でそれがその人の中でぱぁーっと波立ったら素敵だなと

無作為の作為


そういう全部取っ払ってダンスじゃないなにかのパフォーマンスが作れたらいいな


私とか作品が媒介になって音が聞こえたりするのがいいなって思う


内容は公開しないかもしれない(見に来た人だけの秘密なのかも。)ですが、様々に学ぶことがありました。
A4 23ページ。何回かくじけ遅くなってしまったけれども、自分が話していることを文字にしてみなおすという作業はとても面白い。Amanogawaプロジェクトもそうですが、ダンスをやっていると言葉にするのがとても苦手。自分の言葉のつたなさもわかり、また飛び具合もわかり(ごめん阿弥さん)。
時間はかかっていますが、やっぱり作品も面白いけれど、その人のたどってきた歴史、経緯はもっと面白いと思います。