2016年1月1日金曜日

一期一会 第4回杵屋三七郎さん

12月20日 一期一会
第4回 現代に生きる古典について
ゲスト:杵屋三七郎さん(江戸長唄、唄方)

杵屋五三吉、三代目杵屋三左衛門に師事。また、東音会市川春子、清元節を清元栄三郎、萩江節を萩江露舟、友郁、小唄を長生秀に師事。日本の伝統芸術や音楽を尊重し、他ジャンルにも飽くなき挑戦を続ける、その姿勢について伺います。







今回4回目の一期一会で初めて事前打ち合わせを2回行いました。長唄「黒髪」と即興、そして話すという展開に。
「黒髪」艶歌です。

「黒髪」
黒髪の むすぼうれたる思いには
溶けて寝た世の枕とて 
ひとり寝る夜の仇枕
袖は片しく妻じゃというて 
愚痴な女子の心も知らず
しんと更けたる鐘の声 
昨夜の夢の今朝覚めて 
ゆかしなつかしやるせなや
つもるとしらで つもる白雪

3分程度の小曲ですが、この曲をもとに長唄と地唄舞の違いについてなど聞く予定だったのですが、「見ながらいくらでも変化していく」唄いの妙で盛り上がりました。
もともと歌舞伎の伴奏として発生してきた長唄(なお、杵屋さんは歌舞伎座などでもうたっていたのだそうです)。楽譜はありますが、基本的に口伝え。さらに間合いはそれぞれの人に任せられているからこその面白さ。そこに駆け引きが生まれ、それはすなわちセッションなのではないかと。

今回、そのあと行った即興で、終わりの動きを決めておくということをしたら、結構マヌケなことになってしまい、大反省しました。
「ここで終わると思ったんだよーでも、なんか終わっていないからさあ〜」という杵屋さん。いや、それはあなたが終わりは決めてくださいと言っていたからです。
でもおそらく私たちは「これ終わり」と思う瞬間を共有していました。

さて、終わりと言いましたが、それがわかる人は必ずしも多くありません。杵屋さんから決めてくださいと言われたのも「なんとなくここかなここかなと思って迷う(探る)自分が気持ち悪い」ため。私もそう思います。本当に少しの差ですが、でも確実に「終わり」があり、でもそれが共有できないと非常に気持ち悪い。
これはダンスに限らず、音楽だろうがなんだろうが一緒だと思います。

様々なジャンルの人とお話をすることは、私の栄養となると考え、この勉強会のようなものを初めて4回。今後も機会を少しずつ作って、いろんな方にお会いしお話を伺っていきたいと思います。
ダンスは(美術も音楽も)見て楽しむものではなく、身体を用いる哲学だと私は思います。踊る人の身体にはそれぞれの哲学がある。それを私は少し覗かせていただく。それが一期一会。
面白い方に出会ってしまったら、それはいつか何か作らなければ。

みなさまありがとうございました!