6月14日(土)入谷なってるハウス
「続 酔狂即狂」(キュレーター:櫻井一也)
●第一部 set list(各20分)
新井陽子+おちょこ+木野彩子
森重靖宗+菊地びよ
松本健一+纐纈雅代
●第二部 set list(各15分)
松本健一+おちょこ+菊地びよ
森重靖宗+木野彩子
新井陽子+纐纈雅代
全員+木村由(飛び入り参加)
「続 酔狂即狂」(キュレーター:櫻井一也)
●第一部 set list(各20分)
新井陽子+おちょこ+木野彩子
森重靖宗+菊地びよ
松本健一+纐纈雅代
●第二部 set list(各15分)
松本健一+おちょこ+菊地びよ
森重靖宗+木野彩子
新井陽子+纐纈雅代
全員+木村由(飛び入り参加)
いつもよく来てくださっている櫻井さんが声かけをしてくださり実現したこの企画。
前からよく知る人たちでも実際は一緒にやってみたことはない、そんなかゆいところに手が届くメンバーセレクションになっています。
森重さんは先日の坂田さん会以来。あこがれのチェリストさんです。
新井さんは茶会記のままともいうべき存在。
まつけんさん、きくちさんなどしってはいても今回初めてご一緒できました。櫻井さんありがとうございます。こういう会はあくまで即興で、作品のような完成度はないのですが、見に来てくださったお客さん(初めてみた)より、菊池さんと木野の踊りをみてこんなコメントをいただきました。
凄く単純なたとえですが、Saikoさんは空間をひろげるように使い、びよさんは自分にむけて空間を凝縮するかのようです。
またびよさんは肉体そのものを提示しているように思えたのに対し、Saikoさんは肉体を、表現のためのツール、もしくは、器(うつわ)のように思えました。
「器」のたとえですが、先ほど書いた「表現のためのツール」と似ていて、自分の描くイメージを自由に盛りつけるための媒介物、といったくらいの意味のたとえです。何をどう盛りつけようが自由、と…
ライヴを見ながら、Saikoさんのダンスを一言漢字で表すと、「漲」だと思ったことでした。「みなぎる」です。ちょうどそのとき、Saikoさんは動きを止め、あたかもエネルギーか気か、とにかく何かを身体中にはらんで、次の、空間を拡張させるであろう表現への爆発の一歩手前にいた感じであったからです。
ちなみにそれに合わせ、びよさんのダンスを表現する字を考えたところ「凝」という字が出ました。肉体の、肉体的要素を凝縮させ、そのまんまを提示するイメージです。
私はこれまでダンスとか舞踏とかあまりわけて考えていなかったのですが、(私自身が舞踏とコンテンポラリーとモダンとすべてひっくるめて学んできたせいもあります)
初めて見た人ですら感じるものなのだからそういう何かがあるのかもしれないと思いました。外へ発散していくエネルギー量。身体のトレーニングの仕方、考え方が見えるのでしょう。
また別のコメントで(しかも複数)どうにもエロいという感想が。
いえ、本人そんなつもりはないのですが(というかこれでエロいのであれば私の作品などはかなりヤバいのではないだろうかと思ったり)、どうなのでしょう。まあ、ダンサーだからそんなものかと思ったり。
その後いろいろ話しをしている中でどうもチェロのせいではないかと。
デュオwith celloという形はcelloを女性(ユーグ曰くワイフ)とすると演奏者とその妻と愛人(コックと泥棒ではないですよ)みたいな感じに見えるのではないか。ナチョデュアトの名作バッハの無伴奏チェロが印象深く残っているせいでしょうか。
ダンサーとしては褒め言葉にも聞こえますが、誤解はさけたいので、気をつけようと思いました。
まあ、このドラマツルグについてはいつか作品に。
楽しい会でした。